22章まで、お付合い頂き有難うございました。
「どうやってこの教室が始まったの?」にお答えできるシリーズが完成しました。
この章ではどのようにe-kidsが最初の一歩を踏み出したのかをおまけでご紹介します。
まず、最初に私が鍛えられたのは、
いかにお金(経費)を使わずにお金(売り上げ)を生み出すか、という事でした。
仕事なんて、経費って言えば知らないところからたくさんお金が出てできて、
「経費で落とす」って言えばいくらでもお金が使えるものかと思っていました。
一人で運営していかなければいけません。
どこからも経費なんて出てきません。
大きな場所借りてジムを作って、ホームページも豪華に作り・・・
などの適当な理想は使い物にならないと学ぶのに時間はかかりませんでした。
どうやったら1円使って、2円以上を手に入れられるかです、全ては。
まずは、コスト=リスクの低い貸しスタジオを借りてそこでオープン。
チラシは100円ショップでハガキを買って自分でパソコンで作ってプリント。
ホームページ?なんかブログってのがタダで出来るみたいなので作ってみる。
当時、まだ「ブログ」と言うのが真新しい言葉の頃でした。
このブログの事です。8時間かけて設定しました。
自分の労力はタダなんだから頑張るしかないです。
では、ハード(外側)は出来てきたけど、ソフト(中身)はどうしましょう。
子どものクラスなんて勉強したことありません。
何を教えるクラスにしましょう。
んー。
絞りに絞って出しました。
子どもの頃から叩き込まれた柔道。
カラーバットで殴られ続けたバレーボール。
アメリカでボコボコにされたアメリカンフットボール。
プロの世界を教えてもらったアンディフグ選手流のキックボクシング。
交通事故でのリハビリ生活。
そして、現役最後のニコラスペタス選手流キックボクシング。
全ての私の経験を絞り出して、e-kidsのクラス内容を決めていきました。
もちろんクラス内容にもお金をかけません。
子ども用教材が努力しないで大量に手に入るような環境だったら、
今のe-kidsは無かったでしょう。
今では、何も教材や道具を使わなくてもクラスを指導する事が出来ます。
100円ショップで作った案内カードを路上で配りました。
チラシ配りでは、「もう英会話行ってますから」と、何度断られた事か。
「え、日本人が教えるの。じゃ、いいです」受け取ってももらえません。
それでも、最初のメンバー入会まで辿り着き、
e-kidsは10周年を迎えました。
その後も楽な道などありません。
リーマンショック直後は40人が立て続けに退会しました。
1人1人入会してもらうのはとても大変だったのに、辞める時はみんなあっさりです。
あの頃は真っ直ぐに歩けなかったです。
フラフラの中、クラスをやるのは本当に辛かったです。
一方、今までたくさんの人に喜んでももらいました。
「やっぱり、e-kidsじゃないと」
保護者の方がチラっと言ってくれたこの一言でどれだけ前向きになれた事か。
メンバーの子がe-kidsの事を学校で話してくれたなんて報告もとても嬉しいです。
e-kidsしか習い事をやっていない子なのに、
英語があまりに上手くて「どこか英会話教室に通っているんですか?」
なんて聞いてしまった事もありました。
保護者の方から「通い続けて良かったです」とメールをもらうこともあります。
びーびー、泣いていたおチビちゃんだった子が、
「ないていたらつよくなれないよ」と新しい子に言っているのを、
私は胸を熱くしながら、知らん顔して聞いてないフリをしています。
これからも、過去の自分に負けないために。
e-kidsを受けに来てくれる子のために命を賭けてe-kidsの指導を続けます。
【とよ先生の半世紀 ・e-kidsが出来るまでの物語】e-kids10周年記念バージョン
長いシリーズ、ご愛読ありがとうございました。
これからは、【e-kidsが出来てからのの物語】
毎日、少しずつ刻んでいきます。
押忍
e-kids とよ先生