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第22章 【ついにe-kids誕生へ】

この章の終わりにはe-kidsが誕生しています。
4600グラムで誕生の人間が、いろんな所にぶつかりながらやっとたどり着いたe-kidsです。
最後の章、お楽しみ下さい。
就職活動や幻のサラリーマン生活で精神的に (第20章)
そして身体的にも(第21章)組織に属せない、
人の下では使ってもらう事が出来ないと分かった、29歳です。
今まで全てを投げ打って飛び込んでいったスポーツの世界のことなんて関係ないです。
社会で生きていくことができないんです。
バイトでなんとか食いつなげるものの、
これからどうすればいいのか、先が真っ暗とはこの事でした。
今までスポーツの世界で流した汗、涙、血はなんだったんだ、と悲しくなりました。
ホームレスってこうやって生まれるんだーって思いました。
救いの手を差し伸べてくれたのは、アンディフグ選手のチームで知り合い、
その後も私のキックボクシングプロデビューを面倒見てくれた、安部(アンベ)選手でした。
(安部選手登場は第15章)
途方に暮れている日々、電話で呼び出されました。
どこのファミレスだったか、どこの席だったか今でも鮮明に覚えています。
「お前これからどうするの?」
会社経営者のビジネスマンでもある安部選手が聞いてきてくれました。
このタイミングで呼び出してくれるんだから、最近の私の動きを把握してくれていたようでした。
私は今までの経緯を説明しました。
全てを聞いてもらってから、言われた言葉にドキッとしました。
「なんで、自分でやらないんだよ」
会社経営している安部選手ならではのアドバイスでした。
引退からの就職活動、会社に属してみてもダメだった経験から、思考回路が固まっていて、
「自分でやる」なんて発想はありませんでした。
でも言われてみれば、私みたいな人間は自分でやるしか道がないのかも知れません。
「でさ・・・」
安部さんは続けました。
「うちの会社で新しい事業を考えているんだけど、トヨがトップでやってみない。
飲み屋か子どもの教室かやってみたいんだけど」
この後に続けて言ってもらった言葉で私は心を決めました。
「で、トヨが人の言う事を聞かないのなんて分かっているからさ、一年だけやれよ。
その後は独立すれば良いよ。うちの会社のリサーチも兼ねたいから、
一年はうちの会社の名前の下でやって、
その後は一人でやって、潰れたら終わりだし、いつか発展させたら、
うちの会社とタイアップしてくれれば良いからさ・・・どう?」
安部選手、
いや、安部社長が着目してくれていたのは、私の集客力という事でした。
一度、ある人に頼まれてパーティーの人集めをしたことがありました。
終わってみれば、そのパーティーの9割の参加者は私が集めた人達だった。
その中には安部選手もいました。
普通に頂いてもありがたい今回の話し。
行き先を失っている私には神様のお告げでした。
「押忍! よろしくお願いします。」
以外の言葉は思い浮かびませんでした。
でも、飲み屋か子どもの教室って・・・
どっちも何も知らない・・・
お酒は飲むの専門だし・・・
教室は・・・
・・・
 教えることか。
アメリカの大学で、日本語のクラスを研修で教えた時に初めて褒められました。
「トヨはの声は通っていて、先生向きだ」
アメリカで水泳の先生のバイトで別の人種の家族に感謝された時、喜びを感じました。
キックボクシング時代、私の教え方が上手いと言ってくれた人がいました。
社会人の英語の先生を辞めた時に、多くの人が残念がってくれました。
ん、教えること向いているのかな。
「子どもの教室っての、やってみます」
その場で少し考えた後答えました。
「おー、いいと思うよ。トヨなら英語でキックボクシングを教えるってすればいいじゃない」
ファミレスでどんどん話しが進みました。
今まで行き先の無かった私のエネルギーが溢れるようにアイデアを出します。
「キックボクシングと特定すると後で変更が出来ないので、スポーツ教室ってしますよ。
フットボールとかも教えちゃったりして・・・
名前は・・・んー、・・・e-kidsってします。
全部小文字で。なんか e だとイー感じでしょ。English と exercise の e で。
小文字がなんかいいと思うんです」
全てその場で決まりました。
瞬間がまさにe-kidsの誕生の瞬間でした。
「来月(10月)からやろう。頑張ってな」
「押忍!ありがとうございます(涙)」
私が30歳の誕生日を迎える10月でした。
アメリカでのフットボールとプロでのキックボクシングに続き、
奇跡的に私は人生3回目のチャンスを頂きました。
もう、ここにしがみつかなかったら次はありません!
2005年10月ついにe-kids誕生です!
こうして、全ての方向にぶつかりながら生きてきた私が、
e-kidsの代表をさせて頂くことになったのでした。
結構あっさりですね。
やるって時はこんなもんです。
フットボールをアメリカでやる時、キックボクシングに転向すると決めた時と
同じ感覚で背中がゾクゾクしました。
ただ、今回は自分だけのスポーツとは違います。
たくさんの人のサポートがあって、責任もあります。
後戻りはできません。
感じたことの無い、怖さもありました。
「e-kidsまでのとよ」としてのお話はここで終了ですが、
次回はおまけで、初期のe-kidsがどんなだったかを書きます。
ラーメン屋さんはオープン当初は行列ができます。
初めの1年なんて、盛り上がりの勢いでなんとか続けられます。
「続けること」の大切さ。e-kidsを通して学んでいます。
押忍。
【とよ先生の半世紀 e-kids が出来るまでの物語】e-kids 10周年記念版
全22章
お読み頂きありがとうございました。
これからは、【e-kids が出来てからの物語】をメンバーの方達、
一緒に働いてくれる先生と創って参ります。
今後ともe-kidsを宜しくお願い申し上げます。
株式会社 e-kids 代表取締役社長 窪田豊彦
根性を鍛える英会話スポーツ教室 e-kids とよ先生
2016年 5月