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第13章【アンディフグ選手との別れ。最後の焼肉屋】

2000年8月、その時は突然にやってきました。
 
 
アンディは全盛期。国民的スターとは彼の為の言葉でした。
 
自分の試合、その試合のための練習、
 
更にはテレビや雑誌の仕事で多忙を極めていました。
 
そんなアンディが私のような新人に構っている暇などありません。
 
 
私はと言えば、練習だけでは生活ができないので、
 
平日午後は予備校でTOEIC問題作成、
 
週末はアンディと知り合うきっかけにもなった飲食店で
 
継続してバイトをさせてもらっていました。
 
 
私のキックボクシングの練習は上手くいっていませんでした。
 
それは単に、私の我慢や根性が足りなかったんだと、
 
今理解しています。
 
(だから、e-kidsなんです)
 
 
アマチュアの試合に出て入賞したりしなかったりが続いていました。
 
もっともっと」と格闘技に全身全霊をつぎ込めないでいました。
 
 
プロ格闘家として成功する人は全てを投げ出し、
 
自ら格闘技の辛い世界に飛び込んでいきます。
 
 
もちろんそれでも全員が成功するわけではありません。
 
一握りの人が成功出来るかどうかという厳しい世界です。
 
私の中では、練習に全てをつぎ込むことによる生活への不安、
 
将来への不安のほうが勝ってしまっていました。
 
練習半分、アルバイト半分の生活、
 
別の種類の格闘技への誘いに乗ってみたり、
 
気がつけばプロとして成功はしない生活を送っていました。
 
 
そんな、私に衝撃が走った日の事です。
 
 
 
予備校でバイト中、
 
トレーニング仲間の先輩から電話がきました。
 
 
テレビで速報が流れる前でした。
 
「アンディが危篤だからすぐ来い」
 
 
「アンディフグが危篤だから行かないといけないんです!」
 
そう言われても意味が飲み込めない勤務先の上司を
 
強引に説得して早上がりさせてもらい病院に向かいました。
 
やっとの思いで到着した病院でしたが、
 
アンディに面会させてもらえませんでした。
 
 
 
そのまま、アンディは亡くなりました。
 
あまりにもあっけない別れでした。
 
 
あれだけ一緒に汗を流したり、一緒に食事をしたり、
 
ドライブに行ったのに、
 
アンディフグはまた別世界の人になってしまいました。
 
もともと別世界の人だったから、
 
こうやって違う意味で別世界に行くのも、
 
あっさりに感じてしまったのかもしれません。
 
一緒に過ごした時間は一瞬の夢だった、ような・・・
 
 
 
 
 
ここで、私とアンディとの思い出をトップ3をご紹介します!
 
 
 
第3位!!!
「アンディフグにかかと落としを決める!!!」
 
ある日の練習でアンディとスパーリング中、
 
見よう見マネで出した私のかかと落としが、
 
偶然にもアンディの頭にコツ!
 
 
戦っているのに2人で笑ってしまいました。
 
偶然も偶然です。
 
アンディにしてみれば、
 
鳥のフンが当たっちゃったみたいなもんです。
 
アンディフグ選手と言えばかかと落とし。
 
かかと落としとえばアンディフグ選手。
 
そのアンディフグ選手にかかと落としを当てた人間は
 
かなり少ないと思います。
 
 
 
 
第2位!!!「アンディフグ選手をダウンさせる!!!」
 
これ、実話なんです。
 
1回だけ、たった1回だけ。
 
練習中にアンディフグ選手を私の技で倒したことがあります。
 
その日、アンディは試合の後遺症で肋骨を痛めていました。
 
アンディは練習前に他のプロ選手たちには言っていました。
 
「今日は肋骨を痛めているから、ここ攻撃しないでくれ」。
 
キックボクシングは怪我の多いスポーツです。
 
だからこそ、練習のために仲間同士協力するのが
 
当たり前のルールです。
 
ただ、私だけには言いに来なかったんです。怪我の報告を。
 
この新人にはしなくても平気だと思っていたのでしょう。
 
だからと言って私は肋骨を狙ったわけじゃないですよ。
 
狙ってあたるような実力じゃないんですから。
 
相手の痛めている場所は練習では狙わない!
 
これはファイターの暗黙の了解、美学です。
 
むしろ、当てないようにすることで当たっちゃう私の実力(涙)。
 
私が出した後ろ蹴りが偶然アンディの痛めている
 
肋骨に直撃しました。
 
「ウーッッ」とうずくまるスーパースター。
 
怖い。私が倒したのに私が怖い。メチャクチャ怖かったです。
 
殺されるーって。
 
で、はい、殺されました。
 
その後のアンディの猛攻撃、凄かったです。
 
「絶対にここから先は来ちゃだめだっていっただろー」
 
と言わんばかりの猛ラッシュ。
 
禁断の領域に入っちゃった感じでした。
 
倒されるのが怖いけど倒しても怖いってどんな世界でしょう。
 
 
 
 
第1位!!!
「アンディ最後の誕生日の夜、2人で焼肉屋」。
 
1999年9月7日、夜間練習のあったその日。
 
他の選手はそれぞれの都合で欠席。
 
私はアンディと2人きりで夜の道場でサンドバッグを打っていました。
 
通常練習の後に行われる居残り練習です。
 
終了後、夜9時くらいでした。
 
シャワーの後、
 
アンディ「トヨ、この後なんかあるのか?」
 
いつもはシャワー浴びて解散だから、
 
アンディがこんな事聞いてくるなんて珍しいと思っていると、
 
アンディ「今日、オレ誕生日なんだよ。付き合えよ」。
 
アンディから誘ってくれました。
 
 
2人で高田馬場の焼肉屋さんに行きました。
 
お店の配慮で奥の個室に通してもらいます。
 
 
一緒に肉を食べながら、
 
アンディ「トヨ、このケータイってどうやって使うの?」
 
「原チャリって便利?オレも乗ろうかなー」
 
「他に美味い店知ってたら教えてよ」
 
「あー、オレ、ユッケは食えないんだよー。トヨ全部食っていいよ」
 
 
 
この時間だけはスーパースターが私の友達でした。
 
 
アンディ「じゃ、明日も練習頑張ろうな」
 
 
別れ際にアンディが握手をしてきたので、
 
私「あ、あ、ハッピーバースデー・・・」
 
 
私はごちそうしてもらいながら申し訳なさそうに言いました。
 
アンディはただ微笑んでいました。
 
次の日も激しい練習がいつも通り続きました。
 
その時は想像できるはずがないです。
 
昨夜の彼の誕生日は彼の人生最後の誕生日となりました。
 
 
通常はアンディの記念日と言えば亡くなった日ですが、
 
私には9月7日、アンディの誕生日が私の中の記念日です。
 
 
窪田豊彦 184センチ98キロ
アンディフグ選手とお別れ。
「とよ先生」まで5年2ヶ月
 
 
私はアンディが亡くなった時の年齢35歳を超えて
 
この物語を書いています。
 
 
彼は今でもはるか遠い存在なのに、
 
彼の恐ろしい目や、彼の笑顔、ドイツ訛りの英語は
 
今も私のそばにいます。
 
アンディが e-kids を見たらなんと言うのでしょう。
 
また焼肉一緒に食べに行きたいです。
 
今度は私にご馳走させてください。
押忍
とよ先生
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