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第12章【スイス合宿とアルプスの少女ハイジ】

ここまで執筆して思うのは両親への感謝の気持ちです。

アメリカに息子が4年以上行って無事帰国。

英語も話せるようになって帰ってきました。

就職活動して一流企業に就職か、安心、と思ったら、やっぱり辞めた!

今度はキックボクシングやる、です。

何も言わないで見守ってくれてた、両親に感謝です。

さて、アメリカから帰国して5ヶ月後に

私はアンディフグ選手にスイスに連れて来てもらいました。

スイスの中でもドイツ語圏の田舎町、ルツェランに到着。

焦りました。

英語が通じない・・・え、英語話せればいいんじゃないの。

高校1年生のころ、カタカナは世界中で通じるものではないと

 
知った時くらいの衝撃、再びです。

宿は安いホテル。

ここと、食堂、道場のローテーションの日々が始まりました。

現地のプロ選手に混ざって、キックボクシング歴3ヶ月の私がいます。

朝、まずスイスの山の中を走ります。

おそらくとっても景色の良いところだと思います。

車で通るならば。

朝食前に腹ペコでそこを走ります。

トップ選手たちは50分を切って走り終わります。

私は余裕で1時間以上かかってやっとゴール。

現地で知り合った優しい選手が

わざと遅く走って曲がり角で待ってくれました。

そうでないと、道に迷ってしまうから。

いきなり来たスイスのアルプス。右も左も分からないとはこのこと。

全部同じ景色に見えるし、

いくら走っても山が大きくて進んだ感覚が無いんです。

はるか彼方の曲がり角で私が左右の曲がり角を確認できたのを

確認してその優しい選手はまた消える。

急斜面の芝生でたくさんの牛が寝ていました。

その後の練習。私はミット持ち。

e-kidsでもやっているスタイルのミットを持って

相手の攻撃を受ける練習です。

もちろんキッズの攻撃ではなくプロの攻撃です。

ミットもe-kidsの子ども用とは違う、

プロ用ミットの分厚いものです。

スイスに来る前に初めて持った時は重くて

1ラウンド3分間持つのも大変でした。

日本での3ヶ月の練習でなんとか持てるようになっていた

ミットでも、攻撃で腕が痛いです。

ミットを蹴られて衝撃で前腕が真っ青です。

分厚いミット越しとは言え打撲したところを蹴られるんだから、

メチャクチャ痛い。

これが実際の攻撃だと体に当たる。もの凄い世界に来てしまった。

痛かろうが辛かろうが、私はスイスにいます。逃げ道はありません。

更に私の情けなさを強調する練習が、最後の3分間ラッシュの練習。

これは相手の一流選手は攻撃しないという約束で、

もう一人(私)がとにかく3分間殴りまくります。

それをガードで耐え抜くというもの。

試合で相手が猛攻撃してきた時の為の練習です。

目の前にいる選手を一方的に殴っているのに、私が疲れて倒れそう。

半分以上のパンチが当たらない。

「うちのおばあちゃんでももっと強く殴るぞ!」

相手選手はこんなこと言いながら

笑顔で私のネコパンチを避けています。

食事は練習の合間に提携の食堂が作ってくれます。

さすがプロ。

しかし・・・

ここがまずい!

そうは言っても私はアメリカで生活してきました。

日本ほど美味しいものが揃っている国は無いことくらいは

分かっています。

海外生活ではその国のものをある程度我慢して食べます。

両親にスパルタ英才教育で培われた食への感謝には自信があります。

好き嫌いなんてありません。

私は「たべものをのこす」という行為を知らないんです。

そんな私が言うんだから相当です。

まずいんです!!!

そこの食堂のおっさんが毎日メニュー決めるんですが、

食パンが一番美味かったです。

ある時そのおっさんが、

「さー、おにいちゃんたち~、

今日はこんな美味しいの作ったからモリモリ食べるのよ~!」

と、100万スイスフランの笑顔で、

バサバサのライスてんこ盛りの上に、

内臓も取っていない名も無い魚を丸ごと一匹乗せて、

更にココナッツソースをかけて出してきた時は殺意を覚えました。

最終的に私は「頼むからパスタを何もしないで茹でて持ってきて」と、

不思議そうな顔するおっちゃんにお願いして、

それを塩コショウで食べました。

とにかくそのくらい食事がまずかった。

後で知りましたがアンディフグ選手の日本での大好物は

ホカホカごはんのヨーグルト乗せ。

そりゃ味覚が合うわけがない。

ホテルではベッドの上で体を休めるだけ。友達もいない。

観光に行く体力なんてない。

マズい食堂では安らぐことなど当然できずに、

栄養を摂らなければ死ぬので無理やり食べる。

言葉はどこに行っても通じない。

道場の練習は、とにかく辛い。逃げ道がない。

普通に友人が回りにいるってなんて安らぎになっていたんだ。

まずい飯がないって素晴らしい。

美味しくなくたっていい、まずくない飯が食べたい。(涙)

かなり精神的に追い込まれました。

1999年のお話です。

携帯電話で文字をやりとりできる事が
革命と感じられていた時代でした。
インターネットやメールが少しだけ社会に認知され始めた時代です。
アメリカから帰国して私が日本で買った携帯電話が
スイスで機能するわけがありません。
私は友人の名前が入っているその携帯電話を
電源だけオンにして眺めたりもしました。

人それぞれいろいろあると思いますが、

趣味やら友達や、家族や、食事、

安らぎがあるから人は頑張れるんですね。

これ全部が無くなると、本当に辛い。

逃げ道が無い精神状態。

私はスイス合宿から一週間経った昼飯の後、
ホテルの部屋で本気で考えました。

言っちゃおうかな。

「アンディ、ごめんなさい。

俺、無理です。
帰りのチケット下さい。俺だけ帰ります」

今、文章にすると考えられない弱者ですが、

その時の私は本当にここまで追い込まれていました。

でもね、頭をよぎったんです。

中途半端で終わったアメリカのこと。

あー、また俺同じことするんだーって。

もう一生負け犬だ。

いや、

ダメだよ。

負け犬になるなんてダメだよ。

何も知らないアメリカで1から頑張った俺だろ。

アメリカでやり残したことを、

賭けられる場所にいるじゃねーかよ。

絶対ダメだよ。どんなに辛くても逃げちゃ。

やるしかねーんだよ。

俺なら絶対できる。

後、3週間だ。

絶対俺ならできる。

ここで帰ったら私は一生負け犬だ。

アメリカで頑張った俺が全て無くなってしまう。

よし。やる。

やってやる。

この一瞬が私を大きく成長させました。

この後はどんなに辛くても途中で逃げようとは思わず、

必死にみんなについていきました。

私の中で何かが変わった瞬間でした。

そんな生活の中で私がみつけた唯一の楽しみ。

「アルプスの少女ハイジ」

練習からホテルの部屋に戻るとテレビにかじりついて観ました。

人間って極限に追い込まれると必死で、

心の安らぎを求めるんですね。

日本ではもちろん見向きもしない「アルプスの少女ハイジ」

しかも何を言っているか分からないドイツ語版です。

ただ見覚えのある画像が見られるだけで嬉しかったんです。

ホテルの部屋で、「現地の子どもか!」

というくらい楽しみに観ました。

そんな生活を1ヶ月間耐え、

私は帰国直前の最終練習を終えました。

最後の朝、早朝ランニングは休みでした。

練習が休みな事がこんな幸せなんて。

今まで頑張ったご褒美です。

アンディが実家から赤いオープンカーを出してきてくれて、

私を横に乗せてドライブに連れていってくれました。

この頃彼と私は、リングで殴りあう事が自然で、

2人でドライブなんて変にかしこまった感じで緊張しました。

ドライブの行き先は、
あれだけ憎かった毎朝自分の足で走っていたスイスの山道。
車で走るとこんなに気持ちいいんだ。
「トヨ・・・」アンディが話しかけてくれました。
「何があってもNever give upなんだよ。
とにかくNever give upなんだよ。分かるか?」
途中で逃げて日本に帰らなくて本当に良かった、
と胸が熱くなったのを覚えています。
最高の瞬間でした。
実はアンディはドイツ語を話す人で
英語はあまり得意ではありませんでした。
でも私のためにわざわざ英語で話してくれます。
そんなアンディだからシンプルな英語
”Never give up, Toyo.”
心に刺さりました。
スイス合宿の最後はアンディフグ選手がメインのスイスK-1大会の日。
他の選手と一緒に私は試合用のバケツを持ち、
アンディフグ選手の入場花道を一番後ろからついていきました。
アンディの入場曲QUEENの “WE WILL ROCK YOU.”の
静かなテンポが始まります。
まだステージ裏のアンディが怪物のような眼になり、
「オラー!」と、大声で気合いを入れて、
ゲートから花道に入っていきます。
恐ろしくてもう誰もアンディに近寄ることは出来ません。
アンディがゲートから1歩場内に踏み入れた瞬間!
スイスの英雄の入場に満員の観客が総立ちで大歓声です。
あまりの歓声に入場曲がかき消されます。
私は鳥肌が立ちっぱなしでした。
空手着にグローブ姿のアンディがゆっくりリングに向かいます。
後ろを歩くバケツ持ちの私の目にはアンディの後ろ姿。
その後ろ姿の越しに見える、
正面大スクリーンにはアンディの顔がアップの映像が流れています。
「これがスーパースターか・・・」
この世のものとは思えませんでした。
アンディが試合に勝ったのを見届けて、
私のスイスでの1ヶ月は終了しました。
成田空港に迎えに来てくれた友人に懇願して
直行した焼肉屋は最高に美味しかったです。
イメージ 1
窪田豊彦 184セン チ95キロ
スイス合宿終了帰国。
「とよ先生」まで後6年4ヶ月
もし、今のようにfacebookやブログなどで、
私がスイス合宿の辛さを発信出来ていたら
どうなっていたのでしょう。
ネットで人と繋がれて、
リアルタイムに辛い思いを他の人に知ってもらえていたら、
頑張れていたのでしょうか。
強くなれていたのでしょうか。
e-kidsのクラスで、特別な時を除いては、
保護者様のご見学は無い方が良いと伝えているのは、
この時私が強くなれた事が関係しています。