アメリカに息子が4年以上行って無事帰国。
英語も話せるようになって帰ってきました。
就職活動して一流企業に就職か、安心、と思ったら、やっぱり辞めた!
今度はキックボクシングやる、です。
何も言わないで見守ってくれてた、両親に感謝です。
さて、アメリカから帰国して5ヶ月後に
私はアンディフグ選手にスイスに連れて来てもらいました。
スイスの中でもドイツ語圏の田舎町、ルツェランに到着。
焦りました。
英語が通じない・・・え、英語話せればいいんじゃないの。
高校1年生のころ、カタカナは世界中で通じるものではないと
宿は安いホテル。
現地のプロ選手に混ざって、キックボクシング歴3ヶ月の私がいます。
朝、まずスイスの山の中を走ります。
おそらくとっても景色の良いところだと思います。
車で通るならば。
トップ選手たちは50分を切って走り終わります。
私は余裕で1時間以上かかってやっとゴール。
現地で知り合った優しい選手が
そうでないと、道に迷ってしまうから。
いきなり来たスイスのアルプス。右も左も分からないとはこのこと。
全部同じ景色に見えるし、
はるか彼方の曲がり角で私が左右の曲がり角を確認できたのを
急斜面の芝生でたくさんの牛が寝ていました。
その後の練習。私はミット持ち。
e-kidsでもやっているスタイルのミットを持って
もちろんキッズの攻撃ではなくプロの攻撃です。
ミットもe-kidsの子ども用とは違う、
スイスに来る前に初めて持った時は重くて
日本での3ヶ月の練習でなんとか持てるようになっていた
ミットを蹴られて衝撃で前腕が真っ青です。
分厚いミット越しとは言え打撲したところを蹴られるんだから、
これが実際の攻撃だと体に当たる。もの凄い世界に来てしまった。
痛かろうが辛かろうが、私はスイスにいます。逃げ道はありません。
更に私の情けなさを強調する練習が、最後の3分間ラッシュの練習。
これは相手の一流選手は攻撃しないという約束で、
もう一人(私)がとにかく3分間殴りまくります。
試合で相手が猛攻撃してきた時の為の練習です。
目の前にいる選手を一方的に殴っているのに、私が疲れて倒れそう。
半分以上のパンチが当たらない。
相手選手はこんなこと言いながら
食事は練習の合間に提携の食堂が作ってくれます。
しかし・・・
そうは言っても私はアメリカで生活してきました。
日本ほど美味しいものが揃っている国は無いことくらいは
海外生活ではその国のものをある程度我慢して食べます。
両親にスパルタ英才教育で培われた食への感謝には自信があります。
私は「たべものをのこす」という行為を知らないんです。
そんな私が言うんだから相当です。
そこの食堂のおっさんが毎日メニュー決めるんですが、
ある時そのおっさんが、
「さー、おにいちゃんたち~、
と、100万スイスフランの笑顔で、
内臓も取っていない名も無い魚を丸ごと一匹乗せて、
更にココナッツソースをかけて出してきた時は殺意を覚えました。
最終的に私は「頼むからパスタを何もしないで茹でて持ってきて」と、
不思議そうな顔するおっちゃんにお願いして、
とにかくそのくらい食事がまずかった。
後で知りましたがアンディフグ選手の日本での大好物は
そりゃ味覚が合うわけがない。
ホテルではベッドの上で体を休めるだけ。友達もいない。
観光に行く体力なんてない。
栄養を摂らなければ死ぬので無理やり食べる。
言葉はどこに行っても通じない。
道場の練習は、とにかく辛い。逃げ道がない。
普通に友人が回りにいるってなんて安らぎになっていたんだ。
まずい飯がないって素晴らしい。
美味しくなくたっていい、まずくない飯が食べたい。(涙)
かなり精神的に追い込まれました。
1999年のお話です。
人それぞれいろいろあると思いますが、
安らぎがあるから人は頑張れるんですね。
これ全部が無くなると、本当に辛い。
逃げ道が無い精神状態。
言っちゃおうかな。
「アンディ、ごめんなさい。
今、文章にすると考えられない弱者ですが、
その時の私は本当にここまで追い込まれていました。
でもね、頭をよぎったんです。
あー、また俺同じことするんだーって。
いや、
ダメだよ。
負け犬になるなんてダメだよ。
何も知らないアメリカで1から頑張った俺だろ。
アメリカでやり残したことを、
絶対ダメだよ。どんなに辛くても逃げちゃ。
やるしかねーんだよ。
俺なら絶対できる。
後、3週間だ。
絶対俺ならできる。
ここで帰ったら私は一生負け犬だ。
アメリカで頑張った俺が全て無くなってしまう。
よし。やる。
やってやる。
この一瞬が私を大きく成長させました。
この後はどんなに辛くても途中で逃げようとは思わず、
私の中で何かが変わった瞬間でした。
そんな生活の中で私がみつけた唯一の楽しみ。
「アルプスの少女ハイジ」
練習からホテルの部屋に戻るとテレビにかじりついて観ました。
人間って極限に追い込まれると必死で、
日本ではもちろん見向きもしない「アルプスの少女ハイジ」
しかも何を言っているか分からないドイツ語版です。
ただ見覚えのある画像が見られるだけで嬉しかったんです。
ホテルの部屋で、「現地の子どもか!」
そんな生活を1ヶ月間耐え、
最後の朝、早朝ランニングは休みでした。
練習が休みな事がこんな幸せなんて。
今まで頑張ったご褒美です。
私を横に乗せてドライブに連れていってくれました。
2人でドライブなんて変にかしこまった感じで緊張しました。