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第11章【スーパースターに猫パンチ】

スーパースター、アンディフグ選手と初の対面から
20分も経たないうちに、
そのスーパースターを相手に戦うことになっちゃっている、
(とよ先生まで後6年と半年の)私。
 
 
「ここでアンディフグ選手を倒して、
 
俺はスーパースターになるんだ!」
 
思考回路は引続き故障しっ放しです。
 
 
開始のゴング。
 
なんのこっちゃない。
 
てい、てい、てい!
 
ネコパンチを繰り出す私、
 
をアンディフグ選手はしっかりガード。
 
 
格闘技に詳しい人ならお分かりのアンディフグ選手特有のあの固いガードです。
 
 
両腕の間からしっかり相手を睨みつけて、
 
カウンターのチャンスを狙うガードです。
 
 
守っているはずのアンディ選手からのあまりのオーラに
 
攻撃しているほうが怖くなってしまうんです。
 
 
腕の間から、ギラって目で。
 
 
 
そんなオーラにも気がつけないで、オラオラやっている可哀想な私。
 
 
 
 
「おりゃ、アンディさんよ!いてーだろ。びっくりですか?
 
後悔しても遅いですぜ」
 
 
 
ぺちぺち。
 
 
 
ネコパンチでは足りず、
 
ネコキックまでも繰り出しております。
 
仏(鬼?)の顔も30秒。
 
 
30秒間、夢見させて頂きました~。
 
ありがとうございました~。
 
痛~い私ですが、
 
これからもっと痛くなって参ります。
 
はい、今から私、地獄に行ってきま~す。
 
 
アンディフグ選手、かるーく片手で私を突き放し、
 
左ミドルキックを私の横っ腹に一発。バチコーン!!!
 
私のアバラをえぐります。
 
骨を折らないでくれたのはアンディ親分の優しさでございます。
 
まさに青い目の侍、武士の情け。
 
ぐぅー、うっうっ・・・息ができない。
 
15分21秒のキックボクシング人生、初のダウン・・・
 
早い!(泣)
 
「ま、落ち着いてやれ」とアンディ。
 
 
 
 
それからの2週間、
 
毎日の練習で血が流れない日は無かったです。
 
脚は、ローキックによるアザで太ももの付け根から足首まで外側が真っ青。
 
 
鼻は鼻血どころか骨がグラグラ。
 
唇は切れていない日が無い。
 
今まで使ったことの無い体の動きに
 
打撲なんだか筋肉痛なんだか分からない痛さが全身を包みます。
 
 
 
修行を続けている他の一流選手からしたら、
 
アメリカ帰りで少し体がデカイってだけで、
 
調子乗って出来るほどあまくねーんだよ、と洗礼を受けました。
 
外国から人生賭けて来ている選手には特にボコボコにされました。
 
 
みんな、外国から来て修行しているのか。
 
なんか、似たような話し聞いたことあるなー。
 
みんな頑張っているなー。
 
 
 
ここで、私を支えてくれたのはアメリカでの自分でした。
 
「ここで倒れたままだとアメリカでの俺が全て否定される。
 
中途半端なアメリカンドリームだったけど、俺だって頑張ってきたんだ
 
アメリカであれだけ頑張れたんだから絶対ここで負けるわけが無い!」
 
毎日痛かったです。辛かったです。それでも毎日練習に行きました。
 
2ヵ月間の練習で、なんとか、相手の攻撃の守り方も覚えてきました。
 
守り方を覚えたと言っても、
 
プロの攻撃なんて10回中1回守れればラッキーなくらいでしたが・・・
 
 
 
 
そんなある日、練習後にアンディフグ選手に呼び出されました。
 
 
アンディ 
「6月にあるスイス大会に向けて、5月から1ヶ月間スイス合宿に行く」
 
私    
「え? アンディ1ヶ月もいないんだ」
(その間の練習メニューでもくれるのかな)
心の中。「個人練習か~。楽になるなー。ぐひ。少しサボっちゃう?
ラッキー!
あ!そーだ!ここは、
アンディが1ヶ月もいなくなっちゃうのえー、
寂しいよーって顔しないと!」
 
 
アンディ 
「で、トヨも来い」
 
 
 
私    
「へ?(鼻水)・・・お、押忍(汗)」
 
 
 
やっぱり辛いんかい!
 
でも、良く考えれば、そりゃキックボクシングは初心者だけどさ。
 
俺はアメリカに5年いた男だぜ!スイスに1ヶ月くらい大丈夫だよ!
 
「押忍、頑張ります」
 
 
とよ先生の半生記 e-kids 10周年記念バージョン
第11章【スーパースターに猫パンチ
 
最後まで読んで下さってありがとうございます。
 
次章はスイスでの合宿のお話しです。
 
 
世界は大きかったです。
 
自分は小さかったです。
 
スイスでの1ヶ月もたくさんのドラマでいっぱいでした。
 
 
第12章【スイス合宿とアルプスの少女ハイジ】もお楽しみに!!!
 
窪田豊彦 
アメリカから帰国後5ヶ月で1ヶ月間のスイス合宿へ同行。
「とよ先生」まで後6年5ヶ月
 
 
 
 
バイト先の社長が長期休みをくれて応援してくれたおかげで、
 
周りの人がいろいろ支えてくれたおかげで・・・
 
そういう人たちのおかげで、
 
こんな貴重な体験ができるなどと当時は感じることもできずに、
 
自分のことで精一杯でした。
 
そういう人生を応援してくれた方々に感謝の気持ちを持つ事が
 
この物語の執筆の意味と思っています。
 
今はe-kidsから見て私が感謝されないといけない立場にいます。
 
今指導している子たちがe-kidsから羽ばたいて10年20年経った時に、
「あの体と声がでかかった先生のおかげだったなー」
 
そう思ってもらえるようになるのが、私の目標の一つ。
 
私の役割。
 
使命です。
 
それが私がお世話になった人生の先輩方へできる
 
少しの恩返しかと思っています。
 
押忍。